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2011年12月17日、父・金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去により権力の座に就いた金正恩(ジョンウン)氏が執政10年を迎える。父や祖父を見習うように政敵や親族を粛清する恐怖政治で支配を固めた金正恩氏は、国際舞台では特にトランプ米政権と渡り合い非核化の幻想を振りまき、国内では「人民大衆第一主義」を掲げ、時には住民に涙を見せる指導者を演じた。その虚構と偽善の宣伝・扇動の正体は国際社会では明らかになっているが、北朝鮮では「金正恩主義」や「首領」といった用語が新たに登場し、独裁色がさらに強化されようとしている。
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金正恩氏は11年12月28日、雪が降りしきる氷点下9度の錦繍山(クムスサン)記念宮殿で、父の遺体を運ぶ霊柩(れいきゅう)車に叔父の張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長ら最側近7人とともに付き添った。
7人はその後、どうなったか。張成沢氏は2年後に国家転覆罪で処刑された。無事に引退したのは金己男(ギナム)党書記(当時)と崔泰福(チェ・テボク)最高人民会議議長(同)の2人のみ。金永春(ヨンチュン)人民武力部長(同)は死去したが、張成沢氏以下4人は粛清(李英鎬(リ・ヨンホ)軍総参謀長と禹東測(ウ・ドンチュク)国家安全保衛部第一副部長)、解任(金正覚(ジョンガク)軍総政治局第一副局長)である。身内では17年、義兄の金正男(ジョンナム)氏がマレーシアの国際空港で、工作員らに雇われた女性の手により神経剤VXで暗殺された。
金一族の権力の源泉は粛清と政治犯収容所である。幹部は逮捕、拷問、粛清、処刑によって忠誠心を強要される恐怖政治だ。
北朝鮮での最初の粛清は金日成(イルソン)主席による1953年に始まった南朝鮮労働党(南労党)派への大粛清だった。金日成氏は訪朝した韓国側共産勢力、南労党の朴憲永(パク・ホニョン)ら党幹部らに「米帝スパイ」の汚名を着せ処刑した。さらに、旧ソ連を模して政治犯収容所を造り政敵の中国派(延安派)やソ連派を連行した。粛清は数年間続き、その結果、金日成氏は実権を握った。
金正日氏も壮絶な粛清を行った。90年代後半からの「深化組事件」と呼ばれる粛清で、約2万5千人が処刑の犠牲になったとされる。金正日氏は父の代からの古参幹部にてこずった。その一掃を画策したのがこの事件で、90年代後半の飢餓発生を利用し、食糧難の責任追及を理由に警察内に「深化組」という捜査組織を作り、思想調査を名目に都合の悪い幹部から末端まで次々に逮捕、処刑した。
捜査の総責任者は金正日氏の妹の夫、張成沢氏だった。張成沢氏は北朝鮮全土に数百カ所の深化組支部を設置。約8千人の捜査員を使って人々を震え上がらせた。晩年の金正日氏は金正恩氏の後見役を張成沢氏に託したが、その張成沢氏が金正恩氏に処刑されたのは、世襲の皮肉だ。
国家安全保衛部特別軍事法廷に引きずり出された張成沢氏は傷だらけで、明らかに拷問を受けていた。韓国の情報機関、国家情報院によると、処刑後に張成沢氏の側近2人も逮捕され、高射砲で撃たれ火炎放射器で遺体を焼かれる残忍な方法で公開処刑されたという。金正恩氏は権力継承後の2年間で軍団長を44%入れ替え、64年生まれ以前を党の管理職に新任しない方針を打ち出して旧世代を追放した。
涙の演出「感性独裁」
金正恩氏は現在、「人民大衆第一主義」を掲げている。今年年初の朝鮮労働党第8回党大会では「人民生活の安定や向上を図る」と強調し、経済について「掲げた目標はほぼすべての部門で遠く達成できなかった」などと認めた。2020年10月の党創建75年の演説では「皆は私に信頼を寄せてくれた。しかし、いつも満足に応えられず本当に申しわけなく思っている」と涙をぬぐうしぐさをみせ、「感謝」や「すまない」という言葉を20回も繰り返した。
人民経済など歯牙にもかけないはずの金正恩氏が大衆主義を唱え、過剰演出で涙をみせるのは宣伝・扇動だが、これを北朝鮮内部では「感性独裁」と呼ぶ。北朝鮮の元党幹部だった脱北者によると、感性独裁は恐怖政治とともに北朝鮮の人心掌握の2本柱とされる。感性独裁は大衆を扇動する心理統治で、指導者の演説、出版物、映画、音楽などで、いかに住民を感動させ興奮させるかを目的にするという。
現在、党宣伝扇動部の責任者は金正恩氏の実妹、金与正(ヨジョン)副部長だ。金与正氏は9月末の最高人民会議で最高政策指導機関、国務委員会のメンバーに昇格。外交安保の統括責任者になったとみられているが、もう一つ重要な役割が、金正恩氏の偶像化のための感性独裁の責任者なのだ。
食糧不足、経済苦境、新型コロナ防疫の三重苦に加え、平壌総合病院建設などの大型プロジェクトが軒並み頓挫した金正恩体制は、大衆にアピールできる成果が全くない。そうした中で演出されているのが、偽善的な大衆第一主義と金正恩氏の新たな偶像化だ。
「金正恩主義」の登場
偶像化作業は年初の党大会から始まった。平壌の「4・25文化会館」の会議場では、正面に配置されていた金日成・金正日両氏の肖像画が外された。党大会で改正された党規約からは、両氏の業績に関する記述が大幅に減った。代わって会議場の正面に登場したのが、金正恩氏の写真だ。
次に、北朝鮮内部の会議で「金正恩主義」という用語が使われ始めた。これは祖父の「主体思想」、父の「先軍政治」を乗り越えた統治哲学を「金正恩思想」として確立しようとしている、との見方が大勢だ。金正恩氏は年初の党大会で「総書記」に就任したが、北朝鮮メディアは10月以降、金正恩氏の枕詞(まくらことば)として「革命の傑出した首領」を用い始めた。
虚飾の偶像化に邁進(まいしん)する金正恩体制だが、恐怖政治と偽善統治の結果、国内には不穏な空気も流れている。いつ切り捨てられるかわからない幹部らは不信感を強め、食糧不足などの苦境に住民の不満は増幅している。北朝鮮情報に詳しい関係者によると、「体制批判の動きや身辺不安説から、金正恩氏の護衛強化が度々行われている」という。
筆者:久保田るり子(産経新聞編集委員)
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2021年12月12日付産経新聞【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】を転載しています